国内外の事例にみる、文化・芸術を生かした『創造都市』
2010年3月31日発行の30号より
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文化・芸術を生かしたまちづくりにおいて、創造力は如何にして都市・地域を蘇られる原動力となり得るのか?最近、注目される『創造都市』の考え方も踏まえながら、文化・芸術が持つ『創造力』を活用した都市経営の事例を見てみる。
なぜ、文化・芸術は都市を再生させるのか
海外旅行の普及・国際移住の増加、製造業の海外移転・国際貿易の増大、資本の国際化・為替取引の増大、メディアの発達・インターネットの普及……。
ヒト、モノ、カネ、情報が国境を超えて飛び交う『グローバル化』の波が20世紀後半に生じて、1990年代には大きなうねりとなり、さらに21世紀の到来とともにその勢いを増していく。そして、今日では、都市や地域のあり方をはじめ、人々の考え方をも左右するようになっている。
1990年代において、グローバル化で地域のアイデンティティ喪失が嘆かれ、その一方で自然環境に配慮した持続可能な都市のあり方が議論された時代だった。このような状況下、産業・工業都市が文化・芸術を重視した都市計画を採用して、都市としての変貌を遂げ、市民生活や地域社会の『質』を高めて持続的な発展を可能とした。
ヨーロッパなどにおける、かつての産業・工業都市が都市再生に際し、文化・芸術を戦略的に組み込む点に着目したイギリス人都市計画家チャールズ・ランドリーは「文化や芸術が生み出す過程での『創造力』こそが、都市や地域を蘇られせる原動力である」とする『創造都市(Creative City)』という概念を打ち出す。具体的な動向について、国内外5都市の事例を見てみたい。
著名美術館の誘致で蘇る――スペイン・ビルバオ
斬新な建築デザインのビルバオ・グッゲンハイム美術館(写真提供:スペイン政府観光局)
著名な建築家フランク・ゲーリーの設計によるユニークにうねったチタニウム製の外観をもつビルバオ・グッゲンハイム美術館の成功で世界的に有名になったビルバオは、スペイン・バスク州に位置する。
1960年代から1970年代において重工業が著しく発展したビルバオは、その後1970年代後半から1980年代に重工業の衰退とともに、まち自体も斜陽化する。その後、ビルバオは都市再生を賭けて、多館展開と国際戦略を打ち出したグッゲンハイム美術館(本部アメリカ・ニューヨーク)の誘致に乗り出す。合わせてビルバオは港湾、空港、高速道路、地下鉄、路面電車、複合文化施設などの都市インフラ整備や再開発に取り組む。
ビルバオ・グッゲンハイム美術館が1997年10月にオープンして以来、それまで観光資源が皆無だったビルバオへ観光客が急増する。開館5年で515万人が訪れ、直接的な経済効果として7億7500万ユーロをもたらしたのだ。その金額は、美術館建設費の約10倍に相当し、バスク州政府は投資額を3年で回収した計算になる。これら経済効果に加え、「ビルバオの住民が、自ら暮らす都市や地域に対する誇りを回復したことが大きい」との指摘もある。
『奇跡の美術館』で地域活性化――日本・金沢市
金沢21世紀美術館(写真提供:金沢市)
日本経済新聞社が今年2月に発表した《家族で楽しめる美術館》ランキングの1位は、『金沢21世紀美術館』だった。首都圏から遠く離れた地方都市で、しかもピカソやルノアール、モネらの著名な作品もない、現代芸術を扱う美術館にとっては、《大金星》といえる快挙だ。
2004年10月、金沢市中心部に突如、丸い円盤状の金沢21世紀美術館が出現した。『まるびぃ』の愛称で市民に親しまれる金沢21世紀美術館の初代館長に就任したのは、ルーブル美術館長も絶賛した《伝説の学芸員》で知られる蓑豊さんだった。
「芸術は創造性あふれる将来の人材を養成する未来への投資」と考える蓑館長は、市内の小・中学生の無料招待や学芸員による出張授業など、アメリカ仕込みの斬新な企画や発想の数々で驚異的な集客を成し遂げていく。開館1年目に市内人口の3倍強にあたる157万人が訪れ、『奇跡の美術館』と称された。この来館者数は名勝・兼六園と肩を並べる数字で、さらに彼らが地域にもたらした経済効果は111億円、初年度の建設費も含めた波及効果は実に328億円にもおよぶ。
金沢21世紀美術館が位置する金沢は江戸期からの伝統産業に加え、歴史的な町並みを誇る。しかし、1980年代後半から急速なグローバル化の荒波で主力の繊維産業が衰退、かつての紡績工場や倉庫群が廃墟と化した。このような状況下、市民の声を踏まえて倉庫群を転用して、アート・ドラマ・ミュージック・エコライフの4つの工房が「1日24時間・1年365日」使える『金沢市民芸術村』が誕生。近代産業遺産が『文化創造の場』に生まれ変わった。
文化・芸術を生かした金沢のまちづくりは、経済団体や市民も参加して1997年に発足した金沢都市文化会議が主体になって取り組んで来た。同会議は2001年、産学官民による金沢創造都市会議に改称、新たな都市像を提言、県内外に発信している。
脱工業都市が『文化商品』輸出―フランス・ナント
フランス・ナント
『ナントの勅令』で名高いナントは、かつてフランスでも屈指の工業都市だった。第2次世界大戦後、ナントは造船業に代表される工業都市として栄え、大勢の労働者が暮らしていた。しかし、1970年代に港湾が移転、さらに造船所閉鎖で失業者が溢れ、厳しい経済状況に追い込まれる。
1990年代に新しい首長の強力なリーダーシップで文化・芸術による都市再生へ舵を切る。都市計画をはじめ経済、文化、社会などの各分野の専門家を招聘、再生プロジェクトを推進する。
脱工業都市を目指したナントは、再開発事業や交通基盤の整備に乗り出す。なかでも旧ビスケット工場を活用した現代アートセンターの開設に象徴される、文化による都市再生を全面に打ち出す。
古都として歴史的遺産も多いナントでは、住民だけでなく観光客にとっても魅力的な都市づくりを目指して、『三大陸映画祭』や『書籍とアート』フェスティバル、地域密着型クラシック音楽祭などの文化イベントを開催する。なかでも音楽祭はパッケージ化されて、国外の都市も導入するなど、いわば『文化商品』の輸出も手掛ける。
今日、フランスで「最も住みやすい都市」として知られるナントは、文化・芸術が持つ創造力のダイナミズムを生かした都市再生の試みだったといえる。
大胆な行政機構改革で創造都市へ――日本・横浜
みなとみらい全景(上)と横浜赤レンガ倉庫(下)写真提供)横浜観光コンベンション・ビューロー
昨年、開港150年を迎えた横浜は、日本の近代工業化を支えてきた京浜工業地帯の一翼を担ってきた都市でもある。しかし、20世紀末のグローバル化で横浜の製造業は、ご多聞に漏れず空洞化した。
一方、工業都市からの脱却を図って横浜が手掛けた『みなとみらい21』などの大規模ウォーターフロント開発をバブル崩壊が直撃。さらに東京都心での相次ぐ超高層ビル建設でヒト・モノ・カネが東京に吸い上げられる状況となる。
当時の中田宏市長は2004年1月、都市再生ビジョン『文化芸術創造都市』を打ち出す。同年4月、『クリエイティブシティ・ヨコハマ』の実現に向けてタテ割で関わっていた行政部署を横断的な組織に再編して、文化芸術都市創造事業本部を新設した。
そして、横浜の文化・芸術による都市再生の中核的な取り組みとして、文化創造エリアづくりと映像都市路線を掲げる。
文化創造エリアづくりとしては、市内にある西洋建築物や旧銀行支店などの文化財、臨海部の倉庫や空きオフィスなどを活用してアーティストやクリエーター、さらに市民向けの『創造の場』とした。合わせてアーティストやクリエーターの集積を図る創造人材誘致戦略を打ち出す。一方、映像都市を目指して、フランス芸術文化勲章の最高章コマンドール章を授与した北野武監督が教授を務める東京芸術大学大学院映像研究科が2005年、横浜進出を果す。
2004年2月から開設3カ年での文化創造エリアの開設による経済波及効果について、浜銀総合研究所は120億円と推計する。また、文化庁が2008年、『文化芸術創造都市』表彰制度を発足させた際には、横浜市は金沢市などの他都市とともに文化庁長官表彰(文化芸術創造都市部門)を受賞した。
工業都市から欧州文化首都へ―イギリス・グラスゴー
イギリス・グラスゴー
15世紀創立の名門・グラスゴー大学を擁するグラスゴーは産業都市であるとともに文化・芸術・若者の街として知られる。19世紀末からグラスゴーは、産業革命で隆盛した地域として栄華を誇っていた。しかし、第2次大戦後に主力の造船業や繊維産業が衰退、失業者が市内にあふれて社会問題化する。
当時、グラスゴーは『労働者階級の都市』と見られていたが、1980年代に就任した首長の卓越したリーダーシップで分野横断的な組織づくりや連携体制の構築、さらに市民の理解・支持を得て、美術館や博物館などの文化施設を建設する。そして、学会や国際会議、国際大会などの招致に精力的に取り組んでいく。
かつて文化・芸術から縁遠い工業都市だったグラスゴーが、いまや最先端の文化・芸術を創造する都市へと変貌している。
その結果、グラスゴーは1990年に欧州文化首都に選ばれ、スコットランド随一の都市として文化、経済、商業の中心地となった。グラスゴーを訪れる観光客は年間300万人で、ロンドンに次ぐ現代美術の中心地としても名高い。
文化・芸術による都市再生の共通項
これら国内外の事例にみられるように、かつての産業・工業都市が都市再生を図る上での重要な役割を果たしているのが、文化・芸術といえる。
これら文化・芸術で再生した都市に共通するのは、首長による決断と卓越したリーダーシップ、そして地域住民も巻き込んだ大胆な取り組みが功を奏した結果といえる。また、再開発や施設建設などのハード面に加えて、これらの活用や既存施設の転用などのソフト面にも十分に考慮して取り組んだ点は大きい。さらに美術館の誘致や専門的な人材の招聘などに代表される域外資源の導入・活用も積極的だ。
本来、文化・芸術は、その土地の風土や歴史、気質、自然などに育まれたものであり、その裾野は広く、奥深い。このため、文化・芸術が発する創造力を生かして都市再生を図っていくには、従来のタテ割型組織では十分な対応が困難な面もある。事実、多くの事例において、横断的な組織づくりや住民も参画した連携体制を構築してきた。
このような取り組みは、閉塞感のある地域や既存組織にヨコ串を刺すことで風穴を開けることにつながる。そうした結果、人々をはじめ、組織、社会を活性化させて、都市再生を導いたと考えられる。
20世紀モデルvs.21世紀モデルでの文化・芸術
グローバル化による20世紀モデルから21世紀モデルへの移行イメージ
《ヒト》《モノ》《カネ》《情報》におけるグローバル化で都市や地域を取り巻く環境は大きく変化した。20世紀は、ある意味で『成長』と『拡大』を基調とした大量生産・大量消費社会だった。一方、グローバル化した21世紀は、『成熟』と『均衡』にもとづく知識情報創造社会といえる。
これまでは『量』(モノ)を重視してきたが、今後は『質』(こころ)が尊重される。つまり、従来の効率を追求してきたモノづくりの実績を踏まえながら、新たな価値を生み出していく創造的な活動が重要になると考える。今後、都市や地域の暮らしや経済活動で『質』を高める要素として、文化・芸術の存在感は大きい。
国連も注目する文化を生かした都市政策
ユネスコ創造都市ネットワーク
このような一連の文化・芸術の持つ可能性を生かした都市政策は国連も注目している。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は2004年、「世界各地の文化産業が潜在的に有している可能性を、都市間の戦略的連携により最大限に発揮させる」と、創造都市ネットワークを立ち上げた。
映画やデザイン、文化、工芸など7つの分野で世界的に特色ある都市を認定した世界19都市で組織しており、日本からはデザイン部門で神戸市と名古屋市、工芸部門で金沢市が認定を得ている。
21世紀を迎えて、さらなるグローバル化が進む今日、各地の都市や地域においては文化・芸術が持つ創造力や可能性を活かしながら、住民主体による都市戦略や地域振興の試みに注目が集まる。(近藤 益弘)
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