なぜ、九州は自動車生産の一大拠点になったのか
2007年3月28日発行の13号より
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九州では、自動車の生産が始まって以来30年余りで年産100万台を突破した。『カーアイランド』と呼ばれる九州が、「なぜ、自動車生産の一大拠点となったのか?」。九州における自動車産業の歩みを追い掛けながら、この謎に迫る。
シリコンアイランド、カーアイランドへの歩み
九州における製造業の主役は、時代とともに替わって来た。70年代までは八幡製鉄所に代表される重厚長大の素材型産業が花形だった。
「産業のコメ」である鉄、そして「黒いダイヤモンド」の石炭で繁栄をみせていた九州に半導体産業が上陸したのは、60年代半ばのことだった。その後、80年代に大手半導体メーカーの進出が相次ぎ、九州における半導体産業が盛んになり、「シリコンアイランド」と呼ばれるようになった。
その後90年代に入ると、好調な半導体産業に加えて、自動車産業もさかんになり、加工組立型へとシフトしていく。現在、九州の半導体生産は全国の2〜3割を占め、自動車生産も全国の1割のシェアを占める。「シリコンアイランド」、「カーアイランド」と呼ばれる九州は、国内の半導体生産、自動車生産において重要な位置にあるのは間違いない。
九州の半導体生産、自動車生産のなかでも特に北部九州には大手メーカーが相次いで生産工場を構えている。この結果、北部九州は九州内の輸送用機械生産の9割、電気機械生産の7割を占め、九州の半導体および自動車生産の中心的な地域になっている。
九州における自動車生産ブームの変遷
九州における自動車生産は、福岡県苅田町への日産自動車による九州工場の立ち上げが嚆矢となった。かつて四大工業地帯のひとつに数えられた北九州は、70年代になると重厚長大型産業が斜陽を迎え、加工型産業への転換が求められていた。
北九州では日産の「里帰り」を熱望、これを受けて日産は73年、九州工場の建設を決定、75年にエンジン工場としての操業を開始した。この日産進出を契機に系列の1次部品メーカーなどの進出もあり、九州における第1次自動車産業ブームが巻き起こった。
その後、91年にトヨタ九州が設立され、福岡県宮田町(現宮若市)での生産を92年から開始した。筑豊の一角にある宮田町は、明治中期に石炭採掘が開始して以来、長年にわたり産炭地として栄えてきた。炭鉱閉山後、宮田町では九州自動車道若宮インター近くに工業団地を造成する。豊富な労働力や交通の利便性に加えて、旧産炭地の振興を目的に設けられた各種基金で企業の進出コストを抑えることができ、新たな産業誘致に成功、「旧産炭地の優等生」となる。トヨタ九州が生産を立ち上げた同じ年に日産九州工場も第2工場を建設、年産53万台へと倍増させ、第2次自動車産業ブームと呼ばれた。
しかし、その後の九州における自動車生産の動きをみると、97年から99年までの期間は、景気後退などで伸び悩みをみせる。2000年が九州の自動車産業にとって、ひとつの大きな転機となり、以降は増加傾向に転じる。この年4月、日産九州工場内に専用埠頭が開設され、工場から直接海外への輸出が可能となる。以後、日産九州工場は日産グループにおける輸出拠点としての色彩が強まり、海外向け車両の生産に追われる。また、この時期にトヨタ九州では、従来の国内向けセダン「マーク」シリーズからハリアーやクルーガーなどの海外向け車種に生産転換した時期でもあった。これらの生産車は、北米をはじめとする海外での好調な販売を反映して、その生産にも拍車が掛かる。
その後、ダイハツグループによる九州進出もあり、昨年ついに九州の自動車生産は、年産100万台を突破した。これらの生産された自動車のうち、実に3台に2台が海外向けだ。九州で生産された自動車は、北米やヨーロッパをはじめとする世界各地で走っている。
進出要因となるヒト、インフラ、モノづくり文化、そして企業戦略
現在では全国の自動車生産の約1割を九州が占める九州が、「なぜ、カーアイランドになったのか?」。
この疑問に対して、九州の自動車産業に詳しい日本政策投資銀行九州支店の千葉幸治調査役は、「九州には質の高い豊富な労働力があり、十分な規模の工業用地を確保できるため増産にも迅速な対応が可能である。また内装品・外装品などの部品産業の集積があり、さらに関東や東海と距離的に離れているために地震などの災害を同時に被るリスクが回避できる。つまり、労働力の確保、工場の拡張性、部品産業の集積、企業におけるリスク回避が、その要因として挙げられる」と、コメントする。
九州が、世界的な自動車の生産地になった要因と経過については、人材供給をはじめとするヒト、工業団地をはじめ道路、港湾などのインフラ、自動車生産の基本となるモノづくり文化、そして進出を検討していた企業自身による経営判断にもとづくものと見ることができる。これらの要因が重なり合って、今日に至っているといえそうだ。
ヒト……求められる豊富な優秀な人材
自動車産業は、多くの人手を必要とする労働集約型の業態といえる。トヨタが本拠地を構える愛知県などでは、求人数が求職者数を大きく上回る、いわゆる「人手不足」の状況にある。これに対しtr北部九州は、失業率などをもとに推測すると、労働力に余裕のあり、特に若い働き手を確保しやすい地域といえる。このことが、自動車メーカーが新たな進出地を選ぶ上で優位になったと考えられる。
福岡県の場合を例にとると、32の大学があり、うち理工系学部を有する大学は13にのぼり、理工系の国立大学生数は全国2位となっている。また、福岡県内には3つの国立工業専門学校、23の工業系高校があり、毎年多くの若い人材を供給することが可能だ。
九州進出を決めたトヨタの場合、全従業員の2割ないし3割が九州出身者で占められているといわれている。事実、トヨタ本体が91年秋、トヨタ九州への転籍希望者を募ったところ、2200人の九州出身者が応じた。このなかから選ばれた約700人がトヨタ九州に赴任、宮田工場での生産を立ち上げていく上で大きな戦力になったという。
インフラ……工業団地、道路、港湾etc
第3次自動車産業ブームのきっかけとなったダイハツグループの九州進出は、ダイハツ九州(旧ダイハツ車体)による群馬県前橋市からの全面移転だった。
移転先としては、いくつかの候補地のなかから、大分県中津市が選ばれた点について、前出のダイハツ工業の本多常務は、「優秀な人材が確保できる雇用環境、100万平方メートル以上の工場用地が確保できる立地環境、すでに産業集積が進んでいることによる部品調達の容易さ、そして物流の利便性にある」と、九州自動車成長フォーラムの席上で明かした。
工業団地の整備、九州内をクロスロード化した高速道路に加え、港湾整備も重要となる。ダイハツ九州の大分(中津)工場に隣接する中津港は移転に先立ち国から重要港湾の指定を得た。ダイハツ関係の船が毎月60隻ないし70隻が入港し、ダイハツ専用港の観もある。
モノづくり文化……北九州が培った技術力
歴史的にみても北部九州には鉄鋼に始まるモノづくり文化があったことも大きい。日産自動車のルーツも九州だった。日産コンツェルンを築いた鮎川義介が北九州に創業した戸畑鋳物(現日立金属)が1933年、ダット自動車を吸収した。その後、戸畑鋳物は日本産業との共同出資で自動車製造という会社を設立、翌年に日産自動車と改称した。
もともと4大工業地帯のひとつだった北九州には独自の技術をもとに業界のトップシェアを持つ企業も多い。自動車産業でも多数採用されている産業用ロボットの大手メーカーである安川電機、トイレ・バス・キッチンなどの住宅設備機器のTOTOなどが本社工場を構えており、このような大手メーカーとの取引関係を通じて、独自の技術を培ってきた中小企業が、数多く存在することの意味も大きい。
企業戦略……高まる企業活動におけるリスク分散
「より良い製品を、より安く、より短納期で……」、自動車に限らずメーカーにおいては、品質・価格・納期(QCD)が、常に問われる。一方、生産の効率化を追求して、ある一極に集中すればするほど、リスクも高くなるのも事実だ。
自動車の生産も特定地域に集中していると、その地域に地震や津波などの災害が直撃した場合、自動車生産において壊滅的な打撃を受けるリスクがある。
また、かつて、ある特殊な部品を独占的に生産していた大手部品メーカーの生産工場が火災のために供給が止まったことで、複数の自動車メーカーの生産ライン自体もストップしたという苦い経験もある。このようなリスクの分散に関して、企業の経営戦略においては重要度を増している。
「なぜ、九州が一大自動車生産拠点になったのか」、その解答は、豊富な質の高い労働力をはじめ、広大な工場建設を可能な土地や港湾・道路などのインフラ、モノづくりの文化、リスク回避を含めた各メーカーの企業戦略などの結果といえる。(近藤益弘)
【インタビュー】対馬海峡から250キロ圏内は、年産400万台の一大生産拠点だ
日本政策投資銀行
九州支店調査役
千葉幸治さん
九州の製造業は、半導体産業と自動車産業の集積で素材型から加工組立型へとシフトしている。
自動車や半導体に限らず、日本の製造業が新設・増設する生産拠点は国内でも1位か2位の地域に限られる。この結果、九州への設備投資は、「投資が投資を呼ぶ」という好循環が生まれている。
好調な九州の自動車産業と半導体産業を調査した結果、部品メーカーで相互参入が生じ、異なる産業の融合ともいえるクラスター融合の兆しが確認された。「カーアイランド&シリコンアイランド」として、新たな展開をみせると考えられる。
九州の自動車生産能力150万台が確実となり、今後200万台への期待も高い。一方、関門海峡を越えれば、山口県・防府のマツダ(40万台)がある。さらに対馬海峡を越えると韓国の現代(155万台)や起亜(40万台)、ルノー三星(25万台)、GM大宇(20万台)と、対馬海峡から半径250キロ圏内は年産400万台の一大生産地域だ。
今後、九州がアジア有数の自動車生産拠点になるべく、官民が一体となってベクトルを合わせてクラスター融合を図っていくことが望まれる。
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※当ページの内容は、2007年3月28日発行の13号に掲載されたものです。